牧師挨拶 魚本マーレー

祖父母は愛媛と大分県よりシアトルに100年前移民したのです。

それで親はシアトルやワシントン州に生まれましたが、マッカーサー元帥の宣教師への呼びかけに1951年に応えた2番目にやって来た日系宣教師だったと思います。兄弟は11人。親は東京で日本語学校を終えてから、1954年より仙台ですので、我が家族は65年前から仙台。

しかし、高校と大学、そして神学校はシアトルとカリフォルニア。1984年に宣教師助手として日本に戻ってきたのです。親が1991年に引退するまで、またその後でも中・高・短・大、英会話学校や教会で英会話のしごとを時間講師として勤めてきたのです。1994年より仙台の北中山改革派教会の牧会、それで、1997年より、仙台めぐみ教会の開拓伝道にかかわらせていただきました。

趣味は教会史や日本伝道に関わる約2000年前からの「東回りのキリスト教」(景教)と呼ばれている宣教師たちの後を追うことや「創造論」対進化論のディベートを探求すること等、人のファミリー・ヒストリーを聴くこと、食べ物は「和」の方、旅行、DIY他。(プロのボランティアと自分たちの手で会堂を立てた経験あり。)宜しくお願いします。

 

私が教会に行くようになったキッカケ 

Hさん(50代・女性)

27年前、JR駅で電車を待っている間、売店で1冊の本を買いました。それが教会に行くキッカケになろうとは思いもよらないことでした。三浦綾子著「小さな郵便車」経験の無い衝撃を受けながら読み続けました。この著者の綴る深い言葉の根底にあるものは何だろう…神様?どんな?

当時私は婚約中でしたので、すぐに自分の気持ちを婚約者に伝えました。すると後日、「教会行ったよ、今度は二人で行こう」と言う彼からの連絡、こうして数週間後には二人で教会に通い始めることになったのです。随分後になって、あの時なぜすぐ教会に行ってみる気になったのかと尋ねたら「自分の生きる意味を知るべく、仏教やらの本を読んでいた頃だったから」との答え、(なんだ私の為ではなくてね)

私は、人の運命は生まれた時からすでに決まっている、と漠然とながら思っていました。しかし、神などと言う不確かな存在を信じるものではありませんでした。

そんな私が、一冊の本と出会い、後に夫となる人と共に洗礼を受けるに至りました。私自身、とても小さな信仰でしたが、祈って神に応えを求めている時点で、もはや洗礼を受けない理由が無い、と気付いた故のことでした。

あれから今に至るまでの年月、神さまが私たちの信仰生活を一歩一歩導いてくださっています。

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Tさん(70代・女性)

今振り返ってみますと、学生時代に知りたいと思っていたことが2つありました。ひとつは、人は死んだらどうなるのだろうか、ということ。私は死んだら無になると固く信じていました。もうひとつは、真理というものがあるなら、それを知りたいと、いろいろな本を読んでいました。

大学卒業後、就職をし、アメリカに行く機会がありました。滞在中、先に留学していた友人を3日間ほど訪ねました。彼女はクリスチャンで、クリスチャンの家庭にホームステイしていました。彼女は私にキリスト教の話をしてくれましたが、全く興味はありませんでした。最後に彼女が「キリスト教は宗教じゃなくて、真理なのよ」と言った言葉だけは頭に残りました。

それから数か月後日本に戻ると、ニュージーランドの宣教師が私を訪ねて来ました。「どうぞ日曜日教会にいらして下さい」と言われ、お付き合いで行き始めました。宣教師が、聖書から語るメッセージは、人間の罪のこと、イエス・キリストの十字架のこと、永遠のいのちのことなど、初めて聞く話ばかりでした。(宣教師が私を訪ねて下さったのは、友人のホームステイ先の奥さんが私のことを手紙で書いたからでした。)

イエスさまが私の罪のために死んでくださったと聞いても、自分が罪人(つみびと)とは思っていませんでした。自分は良心的に生きて来たという自負さえありました。神さまの存在も否定していました。でも、メッセージを聞き、聖書を読むうちに、聖書の素晴らしさや不思議さに触れて、やはり神という全知全能の方がいらっしゃらなければ、このような書物はあり得ないのではないか、と思うようになりました。この全知全能のきよい神さまの前に私は出ることはできないのではないか、と思い始めました。そして最後のとどめは、ローマ人への手紙3章10節「義人(正しい人)はいない、一人もいない」のことばでした。やっと神さまの前における自分の罪がわかりかけてきたのです。

「神は、実に、そのひとり子(イエスさま)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエスさま)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)

私は単純に、永遠のいのちをいただきたいと思いました。そして、「わたしが道であり、真理であり、いのちである」と言われたイエスさまを自分の救い主として信じ、洗礼の恵みにあずかりました。24歳の時でした。

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Kさん (70代・女性)

私はごく平均的な日本の家庭に生まれ、八百万の神々に何の疑問もなく育ちました。20代で結婚し、二人の子供に恵まれ、夫の父母に仕える日々を過ごしておりました。50歳頃のある日、姻戚の一人に誘われてコミュニケーションのセミナーに参加。生まれて初めて教会の門をくぐりました。その翌年、セミナーで知り合った女性から「輝く人生」というキリスト教会主催の講演会に誘われました。輝く人生なんてほんとうにあるのだろうか、私には無縁だと思っていました。でも演題に惹かれて聞きに行きました。内容は覚えていないのですが感動したことは記憶にあります。

その後私は講演会に誘って下さった女性のお宅で毎週数人の婦人方と聖書を学ぶことになりました。一度も聖書を手にしたことのなかった私にはすべてが新しいこと。「私たちは神さまに生かされている。」そんなことは考えたこともなかったことでした。毎回学びの後私は何となく嬉しい気持ちで帰路についたものでした。神さまが天地を創造された!?子供のころよく眺めていた山や海、空や雲。特に空を見上げたときの何にも勝る安ど感。何が在るのだろうか。そうかそれを創造された方がおられるのだ!

聖書の学びが進むにつれ、神さまの前における自分の罪深さが少しずつわかってきました。そして、教会の日曜日の礼拝にも出席したいという思いが湧き上がって来たのです。イエスさまを信じて、クリスチャンとして歩みたい。その気持ちをお話しすると、宣教師の先生が洗礼準備の学び会を始めて下さいました。主人も一緒に参加し、私の信仰を理解してくれたことは幸いなことでした。

1998年洗礼を受けてから20余年、神さまの恵みと平安のうちに今日に至りました。振り返ってみると、すべてのことが神さまの導きと備えだったと思わずにはいられません。神さまが私と共におられることを信じて、平安な日々を過ごせることを心から感謝しています。

準備中